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15件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2001-03-21 第151回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号

そしてまた、沖縄に所在をいたします陸上自衛隊の第一混成団長海上自衛隊の第五航空群司令等からも、陸海、つまり空だけではなくて陸海部隊隊員全員服務指導の厳守を指示いたしたところでございます。また、航空幕僚監部におきましても、航空幕僚副長を長といたします不祥事再発防止委員会を設置いたしまして、今回の事件が生起した要因の分析や再発防止策の検討を行っておるということでございます。  

石破茂

1997-04-23 第140回国会 衆議院 運輸委員会 第12号

九十六年五月五日の地元の徳島新聞で、航空群司令部の甲谷運用幕僚は、民間機発着年間一万二千回なのに自衛隊訓練機発着回数はその倍もある、訓練カリキュラムに盛り込まれている飛行回数をこなすのに四苦八苦することもあると語っています。防衛庁の説明では、一日に二十機、土曜日、日曜日も年間でいいますと三百磯、夜間年間二百十機が訓練を行っているという話でした。  

平賀高成

1995-02-15 第132回国会 衆議院 予算委員会 第14号

それから、そのほかに挙げられておる者としましては、方面総監のほかに、師団長、それから駐屯地司令の職にある部隊等の長、それから自衛艦隊司令常護衛艦隊司令官航空集団司令竹護衛隊群司令航空群司令、地方総監基地隊司令航空隊司令教育航空集団司令竹教育航空群司令、練習艦隊司令官掃海隊群司令航空隊司令官航空支援集団司令官航空教育集団司令官航空方面隊司令官航空混成団司令補給本部長、その

村田直昭

1989-02-14 第114回国会 参議院 内閣委員会 第3号

次に、海上自衛隊第五航空群でありますが、同航空群は、P2J対潜哨戒機等による周辺海域の防衛・警備並びに災害派遣航空救難等を主な任務としており、第五航空群司令部、第五航空隊、第五支援整備隊及び那覇航空基地隊で編成され、人員は約五百五十名であります。なお、同航空群は、昭和四十七年の開隊以来、無事故飛行を継続しているとのことであります。  

板垣正

1982-02-04 第96回国会 衆議院 予算委員会 第5号

最後は第四航空群司令でございます。PS1開発研究の当人でございます。  これは海上自衛隊の「安全月報」という皆さんの内部資料に長年月にわたって連載をされている。しかもこの方は後で本をおつくりになっている。これが書いてあるのは五十六年一月、つまり去年、三年連続連載。「PX誕生記」、私はここに持ってきてほうり出してもいろんな方に失礼ですから写して書いてまいりました。

大出俊

1978-10-18 第85回国会 衆議院 内閣委員会 第3号

夏目政府委員 この当該S2Fは、御承知のように厚木所在の第四航空群飛行機でございまして、当然のことながら航空集団司令官及び第四航空群司令指揮監督を受けるパイロットでございます。さらに、当日、この飛行機につきましては、着陸訓練を実施するために着陸の順番を待っておったわけでございます。

夏目晴雄

1978-06-06 第84回国会 衆議院 内閣委員会 第22号

一方、その日の夜、四国沖夜間洋上訓練を行っておりました三一航空群の別の対潜飛行艇五八一三号機でございますけれども、これが十九時十五分ごろ国籍不明の浮上航行中の潜水艦とそれから艦艇各一隻を発見しましたので、これを監視するとともに、八時ごろ発見報告及び帰投するという旨の通報を第三一航空群司令部に発信いたしました。

夏目晴雄

1977-10-27 第82回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

もう一つ、重大なことですが、中間報告には、第一報横田タワーから入ったと書いてあるのですが、私たち共産党議員団厚木基地に調査に行ったとき、航空集団司令官宮沢海将、第四航空群司令曽禰海将補、この二人が、第一報事故機からの緊急周波数による緊急信号であるということを説明してくれました。これは防衛庁長官に伺いたいと思うのですけれども、なぜ中間報告ではこの第一報を隠しているのですか。

柴田睦夫

1974-01-18 第72回国会 衆議院 内閣委員会 第3号

第三の文書的な資料としましては、四十七年の二月に、大和市の広報紙、市役所が出しております広報紙におきまして、四十六年の十二月移駐後におきましては、これは三月までには云々ということで、最終的には五十機、二千人になるのだということを、広報紙「やまと」という二月一日付の広報一般市民にお知らせをしておりますが、その中には、やはり海上自衛隊航空部隊と、さらに「四十七年度以降、海上自衛隊航空集団司令部、第四航空群司令

長坂強

1974-01-18 第72回国会 衆議院 内閣委員会 第3号

なぜ、わざわざ航空群司令部から——先ほど長官は、集団司令部航空群とは一緒にいなければ困るということを盛んに言われた。だから移る、現地に行ってみたら、まるっきり離れているじゃないですか。航空集団司令部航空群司令部とまるっきり離れている。アメリカの司令部のある建物の中へ、この四十人の集団司令部だけどうしてあれだけ離れたところに入るのですか、しかも地位協定にも解釈のできない形で。

中路雅弘

1971-07-23 第66回国会 衆議院 内閣委員会 第1号

昭和四十七年度以降、航空集団司令部、第四航空群司令部、第三航空隊など司令部ができるのですね。いまおっしゃらぬけれども。約千五百人から二千人と書いてあるのですよ。だいぶ違うのです。航空機の機種P2V十六機、S2F十二機、YS11七機、S62、MSSですか、十三機、これはヘリコプターですね。計四十八機、こうなっている。これは昭和四十七年度以降。これはおたくのほうのです。おかしな話じゃないですか。

大出俊

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